試楽祭・例祭

例祭は古くより陰暦8月15日に行われていたが、明治以後は9月25日に執行せられていた。最近は稲の収穫時が早くなったことや気象関係もあって、昭和36年式年大祭以後5月2日に改められました。

 

戦後神社制度は変わりましたが、祭礼神事はそのまま引き継がれ盛大に執行されています。

 

5月1日は試楽祭で早朝より氏子各組の新旧組長等が社頭に集って、幟立てや神酒(濁酒)開き等に奉仕し、氏子総代は神輿その他の装飾執物の準備に忙殺されます。
午後3時より中祭式により摂社末社および分社縁社の祭礼が行われます。

 

2日は神社本庁の献幣があり厳かな本楽祭が行われ、つづいて神輿発幸祭の後獅子舞・闘鶏楽 神代踊 警固の各組威儀正しく神輿に供奉します。総勢4百余名蜒々一粁に及ぶ渡御行列は、水無(みなし)磧を渡って神楽岡(御旅所)へ向います。
昭和9年に一宮橋が出来てからは、御神幸は神橋から参道を経てこの橋を渡るようになりました。

 

神輿が御旅所へ着御されると御旅所祭が執行され、獅子舞 闘鶏楽 神代踊が奉納されて、供奉者一般参拝者に神酒(濁酒)が授与されます。やがて神輿は還御の途につかれ、本殿着御の上還幸祭が行われます。その時境内では舞踏楽が交交奏でられます。

 

神事が滞りなく終わると境内奉仕員一同神門下境内にて鄭重な挨拶が形の如く行われ、最後に宮司の挨拶があって一同解散します。
右の祭礼神事は古い由緒があって氏子の男子が代々受け継ぎ、その伝習行事奉行挨拶にいたるまで厳格な掟があって堅く守られてきました。

 

現在は飛驒一宮水無神社(みなしじんじゃ)特殊神事として岐阜県指定無形文化財となっています。

 

1.闘鶏楽(鳥毛打)

闘鶏楽

俗称「カンカコカン」とも云い、当社を源流として、飛騨一円に伝承している特殊神事芸能であります。

 

2.神代踊り(県指定文化財)

神代踊り

当社独特のもので起源は明らかではありません。田楽の転じたもの或は、飛騨楽など膾炙(かいしゃ)されています。
踊子は男子で服装は黒紋付に羽織、角帯姿で袴を着けず、白足袋、紙緒草履、管の1文字笠で踊ります。それに4人の女装した上﨟(じょうろう)が加わります。

 

3.獅子舞(伊勢神楽)

獅子舞

飛騨各地で奉納されているものの代表であります。

 

 

試楽祭・例祭

例祭は古くより陰暦8月15日に行われていたが、明治以後は9月25日に執行せられていた。最近は稲の収穫時が早くなったことや気象関係もあって、昭和36年式年大祭以後5月2日に改められました。

 

戦後神社制度は変わりましたが、祭礼神事はそのまま引き継がれ盛大に執行されています。

 

5月1日は試楽祭で早朝より氏子各組の新旧組長等が社頭に集って、幟立てや神酒(濁酒)開き等に奉仕し、氏子総代は神輿その他の装飾執物の準備に忙殺されます。
午後3時より中祭式により摂社末社および分社縁社の祭礼が行われます。

 

2日は神社本庁の献幣があり厳かな本楽祭が行われ、つづいて神輿発幸祭の後獅子舞・闘鶏楽 神代踊 警固の各組威儀正しく神輿に供奉します。総勢4百余名蜒々一粁に及ぶ渡御行列は、水無(みなし)磧を渡って神楽岡(御旅所)へ向います。
昭和9年駅前に一宮橋が出来てからは、御神幸は神橋から参道を経てこの橋を渡るようになりました。

 

神輿が御旅所へ着御されると御旅所祭が執行され、獅子舞 闘鶏楽 神代踊が奉納されて、供奉者一般参拝者に神酒(濁酒)が授与されます。やがて神輿は還御の途につかれ、本殿着御の上還幸祭が行われます。その時境内では舞踏楽が交交奏でられます。

 

神事が滞りなく終わると境内奉仕員一同神門下境内にて鄭重な挨拶が形の如く行われ、最後に宮司の挨拶があって一同解散します。
右の祭礼神事は古い由緒があって氏子の男子が代々受け継ぎ、その伝習行事奉行挨拶にいたるまで厳格な掟があって堅く守られてきました。

 

現在は飛驒一宮水無神社(みなしじんじゃ)特殊神事として岐阜県指定無形文化財となっています。

 

1.闘鶏楽(鳥毛打)

闘鶏楽

俗称「カンカコカン」とも云い、当社を源流として、飛騨一円に伝承している特殊神事芸能であります。

 

2.神代踊り(県指定文化財)

神代踊り

当社独特のもので起源は明らかではありません。田楽の転じたもの或は、飛騨楽など膾炙(かいしゃ)されています。
踊子は男子で服装は黒紋付に羽織、角帯姿で袴を着けず、白足袋、紙緒草履、管の1文字笠で踊ります。それに4人の女装した上﨟(じょうろう)が加わります。

 

3.獅子舞(伊勢伸楽)

獅子舞

飛騨各地で奉納されているものの代表であります。

 

 

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