御神紋(水瓢箪紋)

神紋2

令和3年9月24日 紋章上繪師 波戸場承龍 殿(株式会社 京源)御奉納

◇御神紋(水瓢箪紋)

当社の御神紋は、“水”の字に瓢箪6つを合せた形で、水無神の水徳や、御神威が水のように広がっていく様子を表したものだと考えられます。境内のいたる所で目にすることができます。

鎮火祭祝詞や古事記の中に「瓢箪(ひさご)云々」とあるように、古より瓢箪は水器として用いられてきました。水無神は水主神であるという説に基づき、安永年間の水無神社大宮司・梶原伊豆守家熊が考案したものと伝わります。

◇神使アジメ

神通川の上流宮川は当社より五里奥の川上岳(かおれだけ)に源流を発し北流します。
一宮の神様が大昔みくら山のあたりが一面のアワラだったので、アジメに排水を命じたら、熱心のあまり河原を掘りぬいてしまい、そのために水が地下を流れて覆い河原になったという言い伝えがあり、社前十数町の間を流水が川底を潜り河原となるので、水無河原、覆河原、鬼河原、安河原などと言われます。

 

 

神紋(水瓢箪)

神紋2

◇神紋(水瓢箪)

瓢箪6個を水の形に合わせたもので、古来より表紋16葉菊に併せ神紋として用いられます。
瓢箪は神代における水を汲む器の初めに用いしもので、鎮火祭祝詞、古事記などに「瓢箪(ひさご)云々」とあり当社神紋に用いるは、祭神水主の神説に由来する由縁として、安永年間の梶原大宮司が考案し用いたものと伝わります。

◇神使アジメ

神通川の上流宮川は当社より五里奥の川上岳(かおれだけ)に源流を発し北流します。
一宮の神様が大昔みくら山のあたりが一面のアワラだったので、アジメに排水を命じたら、熱心のあまり河原を掘りぬいてしまい、そのために水が地下を流れて覆い河原になったという言い伝えがあり、社前十数町の間を流水が川底を潜り河原となるので、水無河原、覆河原、鬼河原、安河原などと言われます。

 

 

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